令和4年度秋 第58回京都非公開文化財特別公開
京都古文化保存協会から、秋の特別拝観「令和4年度 第58回京都非公開文化財特別公開」について発表されています。
今年も密集を避けるため開催期間が場所によって異なり、昼の部と夜の部が設定されています。
昼の部(受付時間 9時~16時)の期間は2022年(令和4)10月8日(火)~12月4日(日)、夜の部(受付時間 18時~20時)は9月17日(土)~25日(日)です。
期間の途中で予定の変更、公開延期、中止などが生じる可能性がありますので、京都古文化保存協会のサイトで事前に確認してください。
夜の部が復活
夜の部が2015年(平成27)以来の復活です。
夜の拝観ができるのは、上賀茂神社と光照院門跡です。
上賀茂神社はこのあとの昼の部でも公開されます。
夜の部のみ、月に2日のみ拝観できる龍の神さまの新宮神社と、国宝本殿・国宝権殿と同じ神域に鎮座する若宮神社にお参りすることができます。新宮神社では賀茂の舞奉奏を拝観することができます。
光照院門跡は2019年(令和元)以来の公開です。
五葉の松と庭園を、夜に鑑賞することができます。
本堂と書院にもお参りできます。
安倍晴明ゆかりの品公開
1007年(寛弘4)、一条天皇の勅旨により安倍晴明を祀るために建立された晴明神社が初公開です。
ふだん京都国立博物館に寄託されている、安倍晴明の肖像画「安倍晴明公御神像」(室町時代)が公開されます。
清浄華院の「泣不動縁起絵巻」(重文 室町時代)もふだんは京都国立博物館に寄託されていますが、お寺で公開されます。
不治の病にかかった三井寺の高僧の智興の代わりに、安倍晴明の祈祷により弟子の証空が病と死を背負います。
証空に病の苦しみだけは取り除いて欲しいと祈願された不動明王は心を打たれ、泣きながら証空の代わりに冥府に行きます。
閻魔大王は不動明王よりも格下なのでひれ伏し、証空の命が助かった、という説話が絵巻に記されています。
異色?な公開箇所が2箇所
浦嶋神社は京都府与謝郡伊根町本庄浜に鎮座しています。
2014年(平成26)以来の公開です。
浦嶋神社は日本最古の浦島太郎伝説の神社です。
浦嶋太郎の息子の浦嶋子は、雄略天皇22年の秋七月に仙亀に導かれて常世の国に行き、淳和天皇の845年(天長2)に戻ってきました。
その話を聞いた淳和天皇は、小野 篁を勅使として送って宮殿を造営、浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが浦嶋神社の始まりです。
公開される「浦嶋明神縁起」(重文 14世紀前半)は、過去に2回しか公開されたことがなく、今回が貴重な機会になります。
合わせて、玉手箱(「亀甲紋玉櫛笥」室町時代)も公開されます。
京都ハリストス正教会は、2016年(平成28)以来の公開です。
ふだんは予約が必要ですが、行事の合間に突発的に特別拝観の時間を作られてきました。
生神女福音(しょうしんじょふくいん)聖堂(2022年2月に国の重文になりました)は本格的ロシア・ビザンティン建築ですが、和風な木造の聖堂です。設計は、京都市旧武徳殿・京都府旧庁舎を手がけた松室重光です。
聖堂内の聖障(イコノスタス)などが公開されます。
初公開は、ほかに2箇所あります。
どちらも大原にある、来迎院と蓮成院も初公開です。
来迎院は、仁寿年間(851-854)に慈覚大師円仁により天台声明の道場として建立され、1109年(天仁2)に聖応大師良忍により再興されました。
来迎院の本堂と、835年(承和2)に慈覚大師円仁により創建された勝林院の本堂を中心として僧坊がいくつも建立され、大原の声明の研鑽の拠点になりました。
蓮成院は来迎院の支院(僧坊)です。
公開される客殿は1926年(大正末・昭和元)の再建とされ、梶井門跡(のちに三千院)の昌仁法親王の仮御所といわれます。