職の御曹司の西面の立蔀のもとにて(訳)

枕草子・訳と感想

清少納言と藤原行成のじゃれ合いの総集編のような章段です。
おそらく、宮仕えを退いて『枕草子』を再編集した際に付け足したのではないかと思います。

この段は勝手な超意訳でないと意味の通らないところもあるし、楽しくないのでそうしています。

角川文庫版『 枕草子 上巻』の第46段です。


職の御曹司の西側の立蔀の辺りで頭の弁が長い時間立ち話をなさっているので、私が顔を出して「そこに誰がいらっしゃるのですか」と言えば、「弁が参上しております」とおっしゃる。

「何を、そう長話していらっしゃるのですか。大弁がご覧になったら、私はきっとそのまま放っておいてさし上げるでしょうね」と言うと、大笑いして
「誰が情報を流して、あなたにこのような言い方をさせたのでしょう。そう、『あなたをそのようにさせないで』と話しているのです」とおっしゃる。

派手な振る舞いで目立って、風流な事を立ち上げることもなく、飾らない素の状態でいるのを、全ての人は額面どおり捉えているけれど、私はもっと心の奥底を理解しているので、「凡人ではない」などと中宮さまに対しても啓上し、また、中宮さまもそのようにご理解あそばしているから、いつも
「『女は自分自身の存在を喜んでくれる人のために化粧をする。士(おとこ)は自分自身の存在を理解してくれる人のために死ぬ』と言うよね」と互いに語り合わせながら、頭の弁は私の事を十分によく理解していらっしゃる。

「遠江の浜柳」と約束しているけれども、若い女房たちは頭の弁が率直な物言いに加えてみっともない事も誤魔化さずに言うので、
「この方にだけは、うっとうしくて会いたくもないです。他の方のように詩歌を朗詠して盛り上がったりもしなくて、しらけてしまいます」などと、けなす。

その上あちこちの女性を口説いたりもせず、
「私は目が垂直に付いて、眉が額の方へ長く伸びていて、鼻が横向きであっても、口元が可愛らしく、下顎の先の方と首の線が綺麗で、声の感じが良ければ、その人だけは好ましく思いますね。とは言ったものの、何といっても顔が可愛げない人は残念です」とだけおっしゃるので、当然のことながら下顎が細くて可愛らしさに欠けている人などは、ただもう目の敵にして、中宮さまにまでも悪し様に啓上する。

用事などを女房を使って啓上させようという時も、その最初に話をした人(私)のもとを訪れ、局に下がっていても呼び寄せていつも私の所に来て用件を言い、里に下がっている時は手紙を送った上に、自分自身もおいでになって、
「まだまだ参上しないのなら、『そのように頭の弁が申し上げております』と申し上げに参上しなさい」とおっしゃる。

「そこに女房がお仕え申し上げていると思いますよ」などと人に任せるよう言うのだが、そう簡単に譲歩しないなどと強固でいらっしゃる。

「成り行きに任せ、決めつけず、万事執り行なっている事こそ、価値の高いものであるように思われますよ」とおせっかい申し上げるけれども、「私のもともとの心の本性」とだけおっしゃって、「改まらないものは心である」とおっしゃるので、
「さて、気兼ねするな、とは、どういう事をいうのでしょうか」と不思議そうに言うと、笑いながら、
「男女の仲になっているなどと人に言われている。このように親しく付き合っているのだから、何の遠慮があるだろうか。顔を見せなさいよ」とおっしゃる。

「尋常じゃないくらいに不細工なので、そのような程度ならばその人はとても愛することはできないだろう、と以前おっしゃったから、とてもお見せ申し上げられません」と言うと、
「なるほど、あなたが好きでなくなったら大変だ。それならば、見られるなよ」と、偶然見てしまうはずの機会でも、自分自身顔を塞いだりしてご覧にならないのも、心から本当に嘘をおっしゃらない人のだなあと思ったけれども、

三月の下旬は冬の直衣が着づらいのであろうか、殿上人が直衣を脱いで袍(上衣)だけで宿直装束としている早朝、日の光が差し込むまで式部のおもとと小廂で寝ていると、奥の遣戸をお開けあそばして、主上と中宮さまがお出ましあそばしているので、起き上がろうとしてもうまくいかず、慌てふためくのを大笑いあそばす。

私たちは唐衣だけを汗衫の上に引っ掛けている状態で、宿直物も何もみな床を覆うくらいに散らばったままの辺りに、お二人であらせられて、北の陣から行き来する者たちをご覧あそばす。

殿上人の、全く事態を知らないで近寄って来て気取った言葉を言う人がいるのを、「私たちがいる事を気付かれるなよ」とお笑いあそばす。

それから、立ち上がりあそばす。

「二人とも、さあ」と仰せになるが、「これから、化粧直しなどをしてからでないと」と、お供申し上げなかった。

奥にお入りあそばした後も、そのままの格好で、お二人の素晴らしい事などを式部のおもとと話し合っていると、南の遣戸の側の几帳の手が突き出ているせいで簾が少し開いているところから、黒っぽいものが見えたので、則隆がいるのだろうと思って、目もくれずにそのまま別の話をしていると、会心の笑みを浮かべた顔が現れ出たが、やはり則隆だと思ってその方を見たら、有り得ない顔だ。

何て事と大騒ぎして几帳を元通り引き直して隠れると、まぎれもなく頭の弁がいらっしゃる。

拝見しない、と確かにそうなさっていたのに、と、悔しくて仕方がない。

一緒に座っていた人(式部のおもと)は、こちらに向いていたので、顔は見えなかった。

姿を現して、「見事に余すところなく見てしまったよ」とおっしゃるので、
「則隆だと考えていてしまいましたので、油断してしまいました。どうして、見ないつもりだとおっしゃったのに、そのように念入りにじっくりと」と言うと、
「女性は何が何でも寝起きの顔こそがとてもいいと言われるので、ある人の局に行ってこっそり覗き見して、この後もしかしたら見えるだろうかと思って、来てしまいました。まだ主上があらせられる時からここに居たのを、気付かなかったんですねえ」と、それから後は、私の局の簾をさっと頭にすっぽり被ったりなどなさったようだった。

2010年12月22日枕草子・訳と感想

Posted by 管理人めぶき