九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて(感想)
平安時代、初瀬(長谷寺)は貴族や庶民からの信仰を集めていました。
長谷寺は、朱鳥元(686)年に道明(どうみょう)上人が西の岡に銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を安置し、神亀4(727)年に徳道(とくどう)上人が東の岡に十一面観世音菩薩を祀ったことから始まります。
その徳道上人が開いた西国三十三所観音霊場を花山法皇が再興したのは、ちょうど一条天皇の御代のことです。
この当時は末法思想の中で、現世利益を求めての観音信仰から、阿弥陀如来の浄土信仰への過渡期でした。
清少納言もまた、ほかの貴族女性同様、長谷寺や清水寺へ観音さま参りをしていたようです。
当時は京都から長谷寺まで、数泊してお参りするのが普通でした。
この章段はそんな折の情景です。
清少納言は月光が白く物を照らし出す光景が好きなようで、ほかにもそれを描いた章段があります。
一緒にいたほかの人とは、女房たちのことでしょう。
ふと眼を覚ますと、みな寝静まった中、女房たちの着ている豪華な衣の織り地が月光によって陰影が付いて浮かび上がっていました。
その感動した瞬間を和歌にするのが当然だよね、と書いています。
しかし彼女はそれをせず、当時誰も書かなかった散文にして残しています。
その点で、「枕草子」らしい章段といえます。