大神神社にお参り(5)・大直禰子神社
大直禰子神社への道
久延彦神社から大直禰子神社までは、鋪装された平地を歩きます。
もう今後の道程に坂道・急階段はありません。楽な気持ちで進みます。
緩やかな階段を少しだけ上ると、大直禰子神社の境内です。
初めてお参りした時、とても違和感がありました。どう見ても本殿が寺院建築なのです。
寺から神社へ
それもそのはず、ここは奈良時代に大神神社の神宮寺の、大神寺(おおみわでら)として創建されました。
鎌倉時代に西大寺の高僧、叡尊によって復興後、大御輪寺と呼ばれ、ご祭神の大直禰子神(おおたたねこのかみ)の神像と十一面観音像が合せてお祀りされていました。
叡尊上人は著述『三輪大明神縁起』の中で天照大神と大神明神は同体であると説き、大御輪寺と大神神社を挟んで隣接する平等寺を中心とした「三輪流神道」を展開させました。
しかし、明治の神仏分離・廃仏毀釈で廃寺となり、十一面観音像は聖林寺に安置されて難を逃れました。
その大神寺の遺構である本殿は、国の重要文化財に指定されています。
大直禰子神社
ご祭神の大直禰子神は、大物主神の神託により、崇神天皇が茅渟県陶邑(現在の大阪府堺市)にて探し出しました。
大直禰子神が神主となって大物主神をお祀りすると、乱れていた国が落ち着きました。
大直禰子神(『古事記』では意富多々泥古命、『日本書紀』では大田田根子命と表記されます)は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と活玉依姫(いくたまよりひめ)の三輪山伝説で生まれた神の子孫にあたり、三輪氏の祖先になります。
境内は小さく、人里の鎮守の神さまといった感じです。
でも仏さまの気配もして、やっぱり不思議な場所です。
大直禰子神社を出てまっすぐ行くと、大神神社本社の二の鳥居の前に出ます。
これで、大神神社参拝が終了しました。
その後3日間ほど両膝と右腓腹筋が痛みましたが、この程度で済んだのは、三輪明神のご利益かもしれません。