京都と奈良の門跡寺院にお参りしてみませんか?
門跡寺院をご存じですか?
「門跡寺院」とは、皇族や公家が住職を務めたお寺のことです。
天皇や皇族が発願してお寺を建立、そのまま住職となった門跡寺院と、お寺の歴史の途中で皇族や公家が住職になったから門跡寺院になったパターンの2つがあります。
お参りをしてみると、門跡寺院ではお堂に宮中の御殿を移築したものを用いていることが多いので、寺院建築の普通のお堂とは違う優雅さを感じます。
門跡寺院と普通の寺院の違いは?
門跡寺院とそうでないお寺との一番大きな違いは、境内に菊のご紋があることです。
また、築地塀に5本の白い筋が入っています。筋の数は格式によって変わり、5本は最高格です。
「御室御所」と称される仁和寺では、境内だけでなくご朱印やお香(仁和香)の箱にも菊のご紋が付いています。
授与していただいたときに、ちょっと緊張してしまったことがあります。
門跡寺院はお参りしにくいところが多いです
門跡寺院もほかの寺院と同様に、通常拝観が可能なところと、そうでないところがあります。
女性皇族や公家の息女が住職となった尼門跡寺院は、ほとんどが通常非公開です。
華道や茶道の家元であることが多いため、そのお寺で稽古をする人のみ拝観できるとされるところが多くあります。
そのような寺院は、京都古文化保存協会や京都市観光協会などが春と秋に主催する、特別拝観の機会を待つしかありません。
京都と奈良の門跡寺院一覧
京都と奈良にある、門跡寺院を一覧にしました。
現在もお参りができるところを中心に、紹介しています。
門跡寺院は住職になった方や、宗派によって分類されます。
ここでは現在の所在地別に一覧にしています。
門跡寺院 用語集
- 十三門跡
- 主な門跡寺院のことです。
全部で13ヶ寺あるため、十三門跡と称されます。
すべて宮門跡と称される、代々親王や法親王が住職を務められた寺院です。
京都には11ヶ寺あります。そのうち、照高院門跡は廃寺になっています。
あと2ヶ寺は、日光にある輪王寺(日光門跡)と、大津の円満院です。 - 法親王
- 出家してから親王宣下を受けた皇子のことです。
親王宣下後に出家した皇子は入道親王と呼ばれますが、こちらも法親王とされることがあります。 - 尼門跡
- 皇女・女王、公家や将軍家の息女が住職となったお寺です。
もとは「比丘尼御所」「尼御所」と称されていて、のち尼門跡と称されるようになりました。 - 准門跡
- 門跡に準ずる寺格の寺院
- 京都五箇室門跡
- 天台宗の寺院のうち、皇族あるいは摂関家出身者が代々門主(住職)となった京都の5つの寺院をさします。
京都市上京区の門跡寺院
大聖寺門跡
通称: 御寺御所(おてらのごしょ・おてらごしょ)
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗単立
歴史:
光厳天皇の妃の無相定円禅尼が足利義満から提供された、花の御所内の岡松殿がのちに寺に改められました。
文中年間(1372~75)に後円融天皇の皇女の理栄宮が入寺して、「御寺御所」の称号を賜わりました。
正親町天皇からは、比丘尼御所第1位の綸旨を賜わりました。以来、代々内親王が入寺して門跡寺院となりました。
明治維新後は、華族の息女が住持しました。
応仁の乱以降、焼失を繰り返して転々としましたが、元禄10(1697)年に現在地に戻りました。
本堂は昭和18(1943)年に青山御所から移築、書院も光格天皇の皇女の永潤宮が住持のときに宮中から下賜されたものです。
本尊: 釈迦如来
見どころ: 明正天皇の河原御殿の資材を移して作られた枯山水庭園は、京都市の指定名勝です。
通常拝観: なし
所在地: 京都市上京区烏丸今出川上ル御所八幡町109
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅
宝鏡寺門跡
通称: 百々御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗単立
歴史:
応安年間(1368~75)に光厳天皇の皇女の華林宮惠厳禅尼が、御所に祀られていた聖観音菩薩を建福尼寺に安置、のちに宝鏡寺と名を改めました。
寛永21(1644)年に、後水尾天皇の皇女の仙寿院宮理昌禅尼が入寺して以来、尼門跡寺院となりました。
天明の大火(1788年)で類焼、光格天皇が皇女を入寺させて、復興させました。
本尊: 聖観音菩薩
見どころ: 代々入寺する内親王が人形を持ち込み、父である天皇も人形を贈ったので、宝鏡寺は人形を多く所有しており「人形寺」の別名を持ちます。
仁孝天皇の皇女の和宮親子内親王は、幼少の頃によく宝鏡寺で遊んだり、経を唱えたりして過ごしました。
その縁で、和宮内親王の遺品が御所から下賜されました。
通常拝観: なし
毎年春と秋に行なわれる人形展のときに拝観できます。
所在地: 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅 ・ 鞍馬口駅
慈受院門跡
通称: 薄雲御所・竹之御所・烏丸御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗単立
歴史:
正長元(1428)年、室町4代将軍の足利義持の正室の日野栄子が、皇室代々の菩提を弔うために建立しました。
創建当初から皇室・摂関家から皇女や息女が入寺した、門跡寺院です。
焼失を繰り返し、曇華院に管理されました。
明治6(1873)年に、同じく日野栄子が創建した総持院が慈受院を合併、慈受院は廃寺となりました。
大正8(1919)年に現在地に再興、総持院を合併しました。
本尊: 釈迦如来
通常拝観: なし
不定期で特別拝観が行なわれます。
所在地: 京都市上京区堀川寺之内上ル百々町540
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅
宝慈院門跡
通称: 千代野御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗単立
歴史:
無外如大尼(日本で最初に女性で禅僧になった方)が創建、応仁の乱後に宝慈院と名を改められました。
光厳天皇の皇女の華林宮惠厳禅尼が入寺して、「千代野御所」と称されて門跡寺院となりました。
天明の大火(1788年)ののち再建されました。
本尊: 阿弥陀如来
通常拝観: なし
所在地: 京都市上京区衣棚通寺ノ内上る下木下町
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅 ・ 鞍馬口駅
三時知恩寺門跡
通称: 入江御所
尼門跡の一つ
宗派: 浄土宗
歴史:
応永年間(1394~28)、後光厳天皇の皇女の見子内親王が創建しました。
崇光天皇の入江殿を寺に改め、門跡寺院となりました。
天明の大火(1788年)で焼失、現在の堂宇は桃園天皇の女御の恭礼門院の旧御所を下賜されたものです。
本尊: 阿弥陀如来
通常拝観: なし
特別拝観はあります。
所在地: 京都市上京区上立売町新町通上立売下ル
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅
光照院門跡
通称: 常磐御所
尼門跡の一つ
宗派: 浄土宗単立
歴史:
延文元(1356)年、後伏見天皇の皇女の進子内親王が落飾後に開山しました。
応仁の乱後、持明院殿跡に移転。
寛政元(1789)年に光格天皇から「常磐御所」の称号を賜わりました。
本尊: 釈迦如来
見どころ: 庭園の樹齢500年の五葉松
通常拝観: なし
所在地: 京都市上京区新町通上立売上る安楽小路町425
最寄り駅: 地下鉄 烏丸線 今出川駅
西方尼寺・本光院門跡
通称: 蔵人御所
尼門跡の一つ
宗派: 天台真盛宗
歴史:
西方寺は文明年間(1467~89)、天台宗の真盛が開山しました。
永正年間(1504~)に現在地に移り、西方寺と称しました。
本光院は、正安4(1302)年、べん(女偏に便)子内親王が父の後二条天皇の菩提を弔うために建立、門跡寺院となりました。
後陽成天皇の后の無夢自性尼が中興しましたが、延宝元(1673)年に焼失、北野に移転しました。
昭和43(1968)年に、西方尼寺の境内に再建されました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ:
本堂の前にある「利休の井」は、天正15(1587)年に豊臣秀吉が催した北野大茶会にて、千 利休がこの井戸水を用いたものです。
花街上七軒にあり、芸舞妓さんが裏千家のお茶の稽古に通うお寺です。
通常拝観: なし
所在地: 京都市上京区今出川通七本松西入る真盛町
最寄り駅: 嵐電 北野線 北野白梅町駅
京都市下京区の門跡寺院
本願寺(西本願寺)
通称: 六条門跡・本門・にしもんぜき
宗派: 浄土真宗本願寺派本山
歴史:
文永9(1272)年に建立された親鸞聖人の大谷廟堂に始まり、天正19(1591)年に豊臣秀吉の都市計画により現在地に移転しました。
永禄2年(1559年)、顕如が正親町天皇より門跡の宣旨を賜りましたが、元禄13(1700)年頃に霊元上皇により准門跡となりました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ: 唐門(国宝)は伏見城の遺構、飛雲閣(国宝)は聚楽第の遺構と伝わります。
北能舞台は日本最古の能舞台です。
通常拝観: あり 5時30分~17時(開門)
所在地: 京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
最寄り駅: JR ・ 近鉄 京都線 ・ 地下鉄 烏丸線 京都駅 / JR 嵯峨野線 梅小路京都西駅
東本願寺
通称: 信門・ひがしもんぜき
宗派: 浄土真宗 真宗大谷派本山
歴史:
文永9(1272)年に建立された親鸞聖人の大谷廟堂に始まり、慶長7(1602)年に徳川家康から現在地を寄進されて移転しました。
永禄2年(1559年)、顕如が正親町天皇より門跡の宣旨を賜りましたが、元禄13(1700)年頃に霊元上皇により准門跡となりました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ: 東本願寺の飛地境内地である渉成園の地泉回遊式庭園には、もとここにあったという源融の六条河原院苑池にまつわる名物が置かれています。
通常拝観: あり 3月~10月は5時50分~17時30分、11月~2月は6時20分~16時30分(開門)
所在地: 京都市下京区烏丸通七条上る
最寄り駅: JR ・ 近鉄 京都線 ・ 地下鉄 烏丸線 京都駅 / 地下鉄 烏丸線 五条駅
興正寺
宗派: 浄土真宗 真宗興正派
歴史:
建暦2(1212)年に親鸞聖人が山科に建立した一坊を、了源が元応2(1320)年に東山の汁谷(渋谷)に移転しました。
永禄12年(1569年)、大坂で石山本願寺の脇門跡(准門跡)の宣旨を賜りました。
天正19(1591)年に現在地に移転しました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ: 建物と庭園が近世から近代にわたる真宗寺院の遺構として、京都市の「京都を彩る建物や庭園」に選定されています。
通常拝観: あり 9時~16時
所在地: 京都市下京区七条上ル花園町70
最寄り駅: JR ・ 近鉄 京都線 ・ 地下鉄 烏丸線 京都駅 / JR 嵯峨野線 梅小路京都西駅
佛光寺
宗派: 浄土真宗 真宗佛光寺派
歴史:
建暦2(1212)年に親鸞聖人が山科に建立した一坊を、了源が元応2(1320)年に東山の汁谷(渋谷)に移転しました。
後土御門天皇により門跡の宣旨を賜りましたが、応仁の乱により衰退。
天正14(1586)年に豊臣秀吉が大仏を建立するため、現在地に移りました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ: 現在の堂宇は明治時代に再建されたものです。
通常拝観: あり 9時~16時
所在地: 京都市下京区新開町397
最寄り駅: 阪急 京都線 烏丸駅 / 地下鉄 烏丸線 四条駅
京都市東山区の門跡寺院
青蓮院門跡
通称: 粟田御所・粟田宮
十三門跡の一つ
宗派: 天台宗
京都五箇室門跡の一つ 延暦寺三門跡の一つ
歴史:
伝教大師最澄が比叡山に置いた住坊の一つから始まります。
仁平2(1152)年、鳥羽天皇の第7皇子の覚快法親王が入寺して青蓮院と改称し、門跡寺院となりました。
元久2(1205)年、慈鎮(慈円)が現在地に移転し、熾盛光堂(本堂)を建立しました。
天明8(1788)年の大火で御所が焼失したおりには、後桜町上皇がここを仮御所とされました。
宸殿は、後水尾天皇の女御の東福門院和子の御殿を移築したものです。
本尊: 熾盛光如来曼荼羅
見どころ:
庭園は、相阿弥作・小堀遠州補作の地泉回遊式。
境内全体が国の史跡になっています。
通常拝観: あり 9時~16時30分(受付終了)
春・秋に夜間特別拝観・ライトアップあり
所在地: 京都市東山区粟田口三条坊町
最寄り駅: 地下鉄 東西線 東山駅
妙法院門跡
通称: 新日吉門跡・皇居門跡
十三門跡の一つ
宗派: 天台宗
京都五箇室門跡の一つ 延暦寺三門跡の一つ
歴史:
伝教大師最澄が比叡山で営んだ住坊に始まります。
平治元(1159)年、後白河上皇が法住寺殿を造営し、鎮守として今熊野神社と新日吉神社を建立しました。
元暦元(1184)年頃、妙法院の昌雲が新日吉神社の検校職に任じられ、洛中に移転します。
鎌倉時代に後高倉天皇の第1皇子の尊性法親王が入寺して以来、梶井門跡(三千院)・青蓮院門跡と並ぶ門跡寺院となりました。
応仁の乱で荒廃、天正14(1586)年、豊臣秀吉が方広寺大仏殿建立のために、妙法院を大仏経堂として再興しました。
大書院は、後水尾天皇の中宮の東福門院和子の女御御殿が下賜されたものです。
本尊: 普賢菩薩
見どころ: 三十三間堂は妙法院が仏堂として管理しています。
国宝の庫裏は、豊臣秀吉が千僧供養を行なったさいの台所として創建されたと伝わります。
通常拝観: なし
5月14日のみ無料拝観
不定期で春か秋に特別拝観あり
所在地: 京都市東山区妙法院前側町447
最寄り駅: 京阪 京阪本線 七条駅
知恩院
通称: 華頂御殿
十三門跡の一つ
宗派: 浄土宗総本山
歴史:
承安5(1175)年、比叡山を下りた法然上人が営んだ草庵が始まりです。
慶長12(1607)年、後陽成天皇の第8皇子が入寺して以来、門跡寺院となりました。
勢至堂の客殿の山亭は、宝暦9(1759)年に霊元天皇の第10皇女の吉子内親王の客殿を下賜されたものです。
本尊: 法然上人像、阿弥陀如来
見どころ: 日本最大級の木造の門である三門(国宝)、古くから伝わる「七不思議」、17人で除夜の鐘を撞く大鐘楼(重文)が有名です。
通常拝観: あり 9時~16時30分
春・秋に特別公開あり
所在地: 京都市東山区林下町400
最寄り駅: 地下鉄 東西線 東山駅
蓮華光院 安井門跡 【廃絶】
歴史:
蓮華光院は正治2(1200)年、「安井殿」と呼ばれる後白河天皇の第1皇女の殷富門院亮子内親王の御殿を譲り受けて建立されました。
開基は仁和寺の守覚法親王に預けられて出家した、以仁王の子の道尊です。
土御門天皇の皇子の道円法親王が入寺して以来、門跡寺院となりました。
天文3(1534)年から大覚寺に兼帯されました。
江戸に入って荒廃しましたが、延宝元(1674)年頃再興。
元禄8(1695)年に、応仁の乱により荒廃した光明院観勝寺のあった東山安井に移転しました。
移転に伴い、鎮守社として光明院観勝寺でお祀りしていた崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮から勧請された大物主神と源 頼政が合祀されました。
宝永6(1709)年、東大寺別当を兼務していた道恕が、大仏殿落慶法要の導師を務めました。
明治の神仏分離により廃寺となり、鎮守社は明治維新後は安井神社と称し、太平洋戦争後に現在の安井金比羅宮と改称しました。
京都市左京区の門跡寺院
聖護院門跡
通称: 森御殿・聖護院宮・聖護院御所
十三門跡の一つ
宗派: 本山修験宗総本山
歴史:
寛治4(1090)年、増誉が開山。
後白河天皇の皇子の静恵法親王が入寺して以来、門跡寺院となりました。
応仁の乱で焼失後移転を繰り返し、延宝4(1676)年、開山の地である現在地に戻ります。
天明の大火(1788)と、嘉永7(1854)年に御所が焼失したおりには、天皇の仮御所になりました。
書院(重文)は、現在地に戻ったときに後水尾天皇が女院のために建てた御殿が下賜されたと伝わります。
本尊: 不動明王
見どころ:
大玄関から上段の間まで続く100余面にわたる金碧障壁画は、狩野永納と狩野益信の筆
通常拝観: あり(境内のみ) 9月~3月は9時30分~16時30分、4月~8月は9時30分~17時
予約不要の特別拝観は秋のみ行なわれます。
所在地: 京都市左京区聖護院中町15
最寄り駅: 京阪 鴨東線 神宮丸太町駅
霊鑑寺門跡
通称: 谷御所・鹿ヶ谷比丘尼御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗南禅寺派
歴史:
承応3(1654)年、後水尾天皇が皇女の宗澄尼を開基として開山しました。
貞享4(1687)年に後西天皇の皇女の普賢院宮が入寺し、父から御殿を下賜されて「鹿ヶ谷比丘尼御所」と称されました。
以降、歴代皇女が入寺しました。
本尊: 如意輪観音菩薩
見どころ: 江戸初期の作庭の地泉回遊式庭園には、後水尾天皇遺愛の日光椿をはじめとして椿の名木が多くあります。
通常拝観: なし
春と秋に特別公開されます。
所在地: 京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町12
最寄り駅: 地下鉄 東西線 蹴上駅
曼殊院門跡
通称: 竹内門跡・竹ノ内御殿
十三門跡の一つ
宗派: 天台宗
歴史:
延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山で営んだ道場に始まります。
天仁年間(1108~1110)、忠尋のときに「曼殊院」と称し、御所の北側に移転します。
文明年間(1469~1487)に入り、伏見宮貞常親王の皇子の慈雲が入寺して以来、門跡寺院となりました。
明暦2(1656)年に八条宮智仁親王の第2皇子の良尚法親王が入寺して、現在地に移転しました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ:
伽藍と公家好みの庭園の佇まいは、「小さな桂離宮」と称されます。
通常拝観: あり 9時~16時30分(受付終了)
所在地: 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
最寄り駅: 叡電 叡山本線 修学院駅
林丘寺門跡
通称: 音羽御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗天龍寺派
歴史:
もとは後水尾天皇の第8皇女の朱宮光子内親王の朱宮御所でしたが、延宝8(1680)年の後水尾天皇の崩御後、内親王は出家して林丘寺と改めました。
以来、内親王の入寺が続き、門跡寺院となり「音羽御所」と称されました。
後水尾天皇の中宮の東福門院の奥御対面所を下賜され、客殿としました。
幕末に衰退、明治に入って天龍寺の滴水禅師が復興、一時男僧が住持する時期がありました。
明治19(1886)年に尼寺に戻り、楽只軒と客殿は隣接する修学院離宮に含まれました。
本尊: 聖観音菩薩
見どころ: 桧垣塔という石造の三重塔があります。
通常拝観: なし
(将来的には公開される予定です。)
所在地: 京都市左京区修学院林ノ脇
最寄り駅: 叡電 叡山本線 修学院駅
実相院門跡
通称: 岩倉門跡・岩倉御殿・実相院門跡
宗派: 単立
歴史:
元は天台宗寺門派で、室町時代から江戸時代にかけて門跡寺院の随一とされました。
寛喜元(1229)年、静基により紫野のあたりに開山しました。
早い時期から門跡寺院で、代々皇族のつながりのある人が住職となりました。
応仁の乱を逃れるために岩倉へ移りました。
本堂は、東山天皇の中宮の承秋門院の女院御所の一部が下賜されたもので、四脚門・車寄せも御所から移築されました。
本尊: 不動明王
見どころ: 「床みどり」「床もみじ」が有名です。
通常拝観: あり 9時~17時
春・夏・秋に特別公開あり
所在地: 京都市左京区岩倉上蔵町121
最寄り駅: 叡電 鞍馬線 岩倉駅
三千院門跡
通称: 梶井宮門跡・円融房・梨本御坊
十三門跡の一つ
宗派: 天台宗
京都五箇室門跡の一つ 延暦寺三門跡の一つ
歴史:
延暦年間(782‐806)に、伝教大師最澄が比叡山で営んだ住坊に始まります。
坂本にあるときに境内にあった加持井(修法に用いる井戸)から、「梶井門跡」の名が起きました。
大治5(1130)年の堀河天皇の第2皇子の最雲法親王の入寺以来、門跡寺院となりました。
貞永元(1232)年に焼失、洛中を転々とし、応仁の乱後に大原に戻りました。
明治4(1871)年、三千院と改めました。
本尊: 薬師瑠璃光如来
見どころ: 往生極楽院南側の弁天池脇に、石彫刻家・杉村孝氏作「わらべ地蔵」が安置されています。
通常拝観: あり 9時~17時(11月は8時30分~17時、12月~2月は9時~16時30分)
所在地: 京都市左京区大原来迎院町540
地下鉄 国際会館駅前から 京都バス19系統「大原・小出石行き」乗車 「大原」下車
京都市右京区の門跡寺院
仁和寺門跡
通称: 御室御所
十三門跡の一つ
宗派: 真言宗御室派総本山
歴史:
仁和4(888)年、宇多天皇が父の光孝天皇の遺志を継いで創建しました。
性信法親王(三条天皇の皇子 入道親王の初例とされる)の入寺以来、明治元年まで代々法親王が住持となり、門跡寺院の首位にありました。
応仁の乱で焼失。
後水尾天皇の兄の覚深法親王が入寺し、徳川幕府の援助を受けて復興しました。
寛永17(1640)年、御所から金堂に紫宸殿、御影堂に清涼殿、宸殿に常御殿などが下賜され、現在の寺観が整いました。
本尊: 阿弥陀如来
見どころ: 少し小柄で遅咲きの御室桜が有名。
通常拝観: あり 3月~9月は9時~17時 10月~2月は9時~16時30分
春・秋に特別公開あり
所在地: 京都市右京区御室大内33
最寄り駅: 嵐電 北野線 御室仁和寺駅
大覚寺門跡
通称: 嵯峨御所
十三門跡の一つ
宗派: 真言宗大覚寺派大本山
歴史:
貞観18(876)年、嵯峨上皇の皇女で淳和天皇の皇后の正子内親王が、父の離宮の嵯峨院に淳和天皇第2皇子の恒寂入道親王寺を開山として開創しました。
代々天皇か皇族が住職を務めました。
大覚寺3世の定昭は天元年中(978~83)に奈良の興福寺の一乗院を創建したため、文永5(1268)年まで一乗院主が大覚寺と兼帯していました。
14世紀初め、後宇多天皇が再興しました。
天文3(1534)年から安井門跡蓮華光院を兼帯していましたが、蓮華光院は明治の神仏分離により廃寺となりました。
明治4(1871)年に東山にあった蓮華光院の御影堂を移築しました。
御影堂(心経前殿)は大正天皇即位式の饗宴殿を移築したもので、宸殿は寛永年間(1624~1645)に後水尾天皇が東福門院和子の女御御殿を下賜されたものです。
本尊: 五大明王(平安時代)
見どころ: 中秋の名月の名所である大沢池は、日本最古の人工の林泉です。
通常拝観: あり 9時~16時30分(受付終了)
春・秋に特別公開あり
所在地: 京都市右京区嵯峨大沢町4
最寄り駅: JR 嵯峨野線 嵯峨嵐山駅
曇華院門跡
通称: 竹の御所
尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗単立
歴史:
足利義満が智泉尼を開基として、以仁王の御所跡に通玄寺を建立しました。
智泉尼が通玄寺の境内に堂宇を建立、曇華院と称しました。
以降、将軍家の息女が入寺し、門跡寺院となりました。
応仁の乱以降衰退しましたが、後西天皇の皇女の大成尼が中興。
光格天皇の皇女が入寺して、天皇から「竹の御所」の称号を賜わりました。
大聖寺・宝鏡寺に次ぐ寺格を与えられましたが、蛤御門の変で焼失、再建されず明治9(1876)年に嵯峨の地に移転しました。
本尊: 十一面観音菩薩
見どころ: 庭の日光椿が見物
通常拝観: なし
所在地: 京都市右京区嵯峨北堀町25
最寄り駅: 嵐電 嵐山本線 鹿王院駅
京都市西京区の門跡寺院
善峯寺
通称: 西山宮門跡
宗派: 天台宗 単立
歴史:
長元2(1029)年に源算が建立しました。
長元7(1034)年、後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜わりました。
青蓮院門跡から多くの法親王が入寺したため、西山門跡と称されました。
応仁の乱にて荒廃、5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が伽藍を整備しました。
本尊: 十一面千手観音菩薩
見どころ: 西山の中腹にあり、境内から京都市街が一望できます。
通常拝観: あり 8時~17時
春・秋に特別公開あり
所在地:京都市西京区大原野小塩町1372
阪急バス66系統 JR京都線 向日町駅 JR向日町発 阪急東向日経由 善峯寺行き 終点下車
京都市山科区の門跡寺院
毘沙門堂門跡
通称: 山科御殿
十三門跡の一つ
宗派: 天台宗
京都五箇室門跡の一つ
歴史:
大宝3(703)年、文武天皇の勅願により行基が開山しました。
寛文5(1665)年に山科に移転後、後西天皇の皇子の公弁法親王が入寺して以来、門跡寺院となりました。
勅使門・宸殿・霊殿は、公弁法親王が後西天皇より拝領されたものです。
本尊: 毘沙門天
見どころ: 境内は桜と紅葉の名所。
通常拝観: あり 8時30分~17時 12月~3月15日は8時30分~16時30分
所在地: 京都市山科区安朱稲荷山町18
最寄り駅: JR 琵琶湖線 ・ 地下鉄 東西線 ・ 京阪 京津線 山科駅
勧修寺門跡
通称: 山科門跡
十三門跡の一つ
宗派: 真言宗山科派大本山
歴史:
昌泰3(900)年、嵯峨天皇の生母の藤原胤子の追善のために建立されました。
南北朝時代、後伏見天皇の第7皇子の寛胤法親王が入寺して以来、門跡寺院となりました。
江戸時代に徳川氏と皇室の援助で再興しました。
本堂は霊元天皇から仮内侍所を、書院・宸殿は明正天皇から旧殿をそれぞれ下賜されたものです。
本尊: 千手観音菩薩
見どころ: 書院の前庭に、水戸光圀寄進と伝わる石灯籠があります。
通常拝観: あり 9時~16時
所在地: 京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
最寄り駅: 地下鉄 東西線 小野駅
隨心院門跡
通称: 小野門跡・小野曼荼羅寺御殿隨心院門跡
宗派: 真言宗善通寺派大本山
歴史:
正暦2(991)年、仁海が開山しました。
寛喜元(1229)年、後堀河天皇より門跡の宣旨を賜りました。
応仁の乱で荒廃後、九条家と二条家から門跡が入寺。
両摂家から援助を受けて復興しました。
本尊: 如意輪観音菩薩
見どころ: 小野小町の晩年の邸宅址との言い伝えがあり、小町作と伝わる文張地蔵や化粧井戸、文塚があります。
通常拝観: あり 9時~16時30分
春・秋に特別公開あり
所在地: 京都市山科区小野御霊町35
最寄り駅: 地下鉄 東西線 小野駅
京都市伏見区の門跡寺院
醍醐寺 三宝院
通称: 三園御殿
宗派: 真言宗醍醐派総本山
歴史:
永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主の勝覚によって開山しました。
源氏の子息または猶子が入寺し、五門跡(三宝院・報恩院・理性院・金剛王院・無量寿院)の中心となりました。
応仁の乱で焼失後、金剛輪院で「醍醐の花見」を開いた豊臣秀吉の援助を受けて、金剛輪院を三宝院と改称して復興しました。
本尊: 弥勒菩薩
見どころ: 三宝院庭園(国名勝 史跡)は醍醐の花見に合わせて、秀吉が自ら作庭しました。
通常拝観: あり 3月1日~12月第1日曜日は9時~17時 12月第1日曜日の翌日~2月末日は9時~16時30分
本堂・奥宸殿・松月亭・純浄観は、春と秋に特別公開される
所在地: 京都市伏見区醍醐東大路町22
醍醐寺 理性院
醍醐五門跡の一つ
醍醐寺の子院
宗派: 真言宗醍醐派別格本山
歴史:
永久3(1115)年、賢覚が父の賢円の住坊に大元帥明王を安置したのが始まりです。
現在、三宝院の北東に隣接しています。
通常拝観: なし
醍醐寺 金剛王院 一言寺
醍醐五門跡の一つ
醍醐寺の子院
宗派: 真言宗醍醐派別格本山
歴史:
平安時代末に聖賢が開山しました。
明治8(1875)年、醍醐寺の南にある一言寺跡に移転、併合されました。
一言寺は阿波内侍の創建と伝わります。
本尊: 千手観音菩薩(一言観音)
通常拝観: あり
醍醐寺 無量寿院
醍醐五門跡の一つ
醍醐寺の子院
宗派: 真言宗醍醐派別格本山
歴史: 平安時代末、元海が開山しました。
醍醐寺 報恩院
醍醐五門跡の一つ
醍醐寺の子院
歴史:
鎌倉時代中期に成賢が住んだ極楽坊を、憲深が報恩院に改めました。
もとは上醍醐にありましたが、後宇多天皇の命により下醍醐に移転されました。
現在は霊宝館の南にあります。
最寄り駅: 地下鉄 東西線 醍醐駅
奈良県の門跡寺院
圓照寺門跡
通称: 山村御所
大和三門跡の一つ 尼門跡の一つ
宗派: 臨済宗妙心寺派
歴史:
寛永18(1641)年、後水尾天皇の第1皇女の大通文智が、修学院に営んだ草庵に始まります。
明暦元(1655)年に、修学院離宮造営のために奈良の八嶋に移転して、八嶋御所と称されました。
翌年、現在地の奈良の山村に移転して山村御所と称されます。
代々皇女が住持してきました。
本尊: 如意輪観音菩薩
通常拝観: なし
所在地: 奈良市山町1312
JR 奈良駅東口発 近鉄 奈良駅経由 奈良交通バス56、62系統「山村町行き」 「圓照寺」下車
法華寺門跡
通称: 法華寺御所
大和三門跡の一つ 尼門跡の一つ
宗派: 光明宗
歴史:
天平14(742)年頃、聖武天皇の皇后の光明皇后が父である藤原不比等の屋敷跡を皇后宮とし、ついで寺に改められたのが始まりです。
「総国分尼寺 法華滅罪之寺」と称されました。
皇室や摂家からの入寺が多く、門跡寺院となりました。
平安時代から衰退、平 重衡の兵火にかかり荒廃しました。
鎌倉時代に東大寺の重源、西大寺の叡尊が再興しましたが、焼失や地震での倒壊が相次ぎました。
慶長6(1601)年から淀殿の発願で、本堂・鐘楼・南門などが再建されました。
昭和になり、貞明皇后に推されて入寺した先代の門跡(住職)が現在の寺観を整えました。
現在の門主は、法華寺で初めての一般の出身です。
本尊: 十一面観音菩薩
見どころ:
国史跡名勝庭園は、仙洞御所からカキツバタ、庭木、石が移されたものです。
『平家物語』の悲恋のヒロインの横笛が出家して過ごしたお堂や、彼女が法華寺の尼僧に相談するために送った手紙で作られた、横笛の紙子像があります。
通常拝観: あり 9時~16時30分
春と秋に特別拝観があります。
所在地: 奈良市法華寺町882
- JR 奈良駅西口から 奈良交通バス12、14系統「大和西大寺駅行き」 13系統「航空自衛隊行き」 「法華寺」下車
- 近鉄 奈良線 ・ 京都線 ・ 橿原線 大和西大寺駅から 奈良交通バス12、14系統「JR奈良駅西口行き」 「法華寺」下車
中宮寺門跡
通称: 斑鳩御所
大和三門跡の一つ
尼門跡の一つ
宗派: 聖徳宗
歴史:
聖徳太子が生母の穴穂部間人皇后のために建立したとされます。
平安時代から衰退、文永年間(1264~1275)に興福寺の信如尼が再興しました。
戦国時代、法隆寺東院の山内子院に避難していた頃に、後伏見天皇の皇孫の尊智女王が入寺しました。
以来、寺を整えられ、皇女が入寺する尼門跡として再興しました。
本尊: 如意輪観音菩薩
見どころ: 金堂の国宝菩薩半跏像(寺伝 如意輪観音)は「世界の3つの微笑像」とも呼ばれています。
通常拝観: あり 10月1日~3月20日は9時~16時 3月21日~9月30日は9時~16時30分
所在地: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
- JR 大和路線 法隆寺駅から エヌシーバス 72系統「法隆寺参道行き」乗車 「中宮寺前」下車
- JR 大和路線・和歌山線・近鉄 生駒線 王寺駅 王寺駅北口から 奈良交通バス63系統「国道横田行き」 または92系統「シャープ前行き」乗車 「中宮寺前」下車
興福寺 大乗院・一乗院 【廃絶】
歴史:
一乗院の開創は、10世紀の終わり頃の定好と伝わります。
定好の師の定昭は天元年間(978~83)に大覚寺の兼帯となり、以降文永5(1268)年まで続きました。
大乗院は寛治元(1087)年、藤原氏出身の隆禅が開きました。
どちらにも摂家の子息たちが入寺して院主を継ぎ、門跡寺院となりました。
両院は鎌倉時代から武力衝突を繰り返し、豊臣秀吉によってようやく終息しました。
明治期の神仏分離令により、大乗院と一乗院を筆頭とするすべての僧侶が春日大社の神官になり、興福寺は消滅しました。
明治14(1881)年、興福寺は現在の寺域のみで復号の許可が下りました。
大乗院は現在は、奈良ホテルに隣接する「名勝 旧大乗院庭園」が残っています。
一乗院の跡地には、奈良県庁が建っています。
所在地: 奈良市高畑町1096(奈良ホテル)
最寄り駅: 近鉄 奈良線 近鉄奈良駅