京都非公開社寺めぐり 車折神社
徒歩で車折神社へ
11月2日に「京都非公開文化財特別拝観(秋季)」で公開されている、遍照寺と車折神社に行ってきました。
遍照寺の次に車折(くるまざき)神社に行きました。
もと来た道を引き返し、丸太町通を渡ります。その後はひたすら南下します。
家でネットでこの辺りの地図を調べましたが、ざっくりとしか載ってませんでした。
ここはごく普通の住宅街です。
こうなったら、自分の勘を信じるしかないです。
JR山陰線の線路を渡り、嵐電の線路にぶつかれば、あとは右か左に車折神社駅があるはずです。
車折神社はこの駅の南に面しています。
運良く、遍照寺から10分で車折神社に着きました。
車折神社は清原氏ゆかりの神社
車折神社の主祭神は平安時代後期の儒学者、清原頼業(よりなり)公です。
文治5年(1189)に死去した頼業の廟所となった清原氏の一族の舟橋氏の菩提寺の宝寿寺が、神社の前身です。
「車折」という名の由来は、鎌倉時代に後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に遊幸の際、牛車がここに差し掛かると動かなくなり、轅(牛車の前に長く突き出した2本の棒)が折れてしまったことから調べると、ここの祠に頼業を祀るようにとの神託を受け、「車折大明神」の神号と正一位を授けたことによります。
御神徳は、儒学者にあやかって学問向上。
江戸時代からは「よりなり」という名を「寄り成り」と読んで商売繁盛、金運向上が祈願されました。
また、願い事をかなえ、スピリチュアル・マインドを目覚めさせる「祈念神石」もあります。
拝殿の前に願いのかなったお礼の石が積まれています。くわしくは神社のサイトへ。
有名な芸能神社がある
また、境内社の芸能神社も信仰を集めています。
祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)。
天照大御神が天の岩戸に隠れた際、岩戸の前で踊って神々の歓声を上げさせ、ついには天照大御神に岩戸を開けさせた姫神です。
ここから、俳優の起源、芸能の神として信仰されています。
神社を囲む朱色の板玉垣には、芸能界のいろいろな人たちの名前が記されています。
富岡鉄斎の書と絵画
車折神社での特別公開は、日本画家の富岡鉄斎の絵画です。
鉄斎が明治21年(1888)から26年(1893)まで車折神社の宮司をしていたことから、彼の絵画が多く所蔵されています。
鉄斎の筆は太くて豪快です。
その博学さを生かし、題材は中国の古典だけでなく神道仏教民俗信仰など多岐に渡っています。
特別公開では、今年の「京都非公開文化財特別拝観(秋季)」の「拝観の手引」の表紙となった「和合神図袱紗」と京都の三大奇祭の一つ太秦の牛祭(現在休止中)を描いた「太秦牛祭図」がとくに良かったです。
80歳前後の「老人」の筆とは思えません。
清少納言に会った
芸能神社の写真を撮るとき、小さな祠にお尻を向けて撮らせていただきました。
その無礼を詫びようと札をよく見ると、「清少納言霊社」と書かれていました。
主祭神の頼業公と同じ清原氏であるため、墓所の不明な清少納言の霊をここでお祀りしているとのこと。
ここでこういうふうにお会いするとは。
先ほどの非礼を詫び、これからも追い続ける旨を挨拶しました。
京都の平野部の紅葉はまだまだのようです。
紅葉の名所が比較的空いている今が、かえって観光にいいと思います。