京都非公開社寺めぐり 遍照寺

2007年11月6日京都・特別拝観

遍昭寺の本堂

JRで京都駅から円町駅、市バスで遍照寺へ

11月2日、「京都非公開文化財特別拝観(秋季)」で公開されている遍照寺車折神社に行ってきました。その次に、大将軍八神社北野天満宮にもお参りしてきました。

遍照寺も車折神社も嵯峨野にあるので仁和寺も一緒に回れるのですが、仁和寺の公開は3日からでした。
この秋は2日しか都合がつかないため、仁和寺は来年にまわしました。
観音堂が楽しみだったのに残念です。

JR円町駅から市バス93番に乗りました。
京都駅発、嵯峨・嵐山方面行きのバスは大混雑しているだろうと考えたからです。
93番は錦林車庫~嵐山間を走っています。
予想通り、つり革持って楽に立てる程度の混み具合でした。
行楽シーズンは、JR京都駅、四条河原町、三条京阪などの大きな駅発着のバスは非常に混雑します。
極力、避けた方が無難です。

広沢御所ノ内町バス亭で降り、北へ進むと遍照寺があります。
大伽藍ではないのでうっかりすると見逃してしまうかもしれません。

もとは広沢池のほとりにあった大伽藍の整った寺

遍照寺は仁和寺を完成させた宇多上皇の孫で、真言宗で初めて大僧正となった寛朝(かんじょう)が創建しました。

もともとこの地は大僧正が広沢池のほとりに構えていた庵だったのですが、円融天皇の発願により寺に改めました。
正暦3年(992)に伽藍が整い、供養がおこなわれました。
寛朝大僧正はこの寺を密教研究の場としたため、広沢流(口伝よりも儀軌を重んじる流派。もう一つの小野流は口伝・口訣を尊重する)と呼ばれました。

しかし、寛朝大僧正示寂後の早いうちに衰微していったようです。
厨子の左側の壁に、藤原公任の男の定頼の歌集『定頼集』から、衰微した遍照寺の様子の引用が掲示されていました。

時代を下って、文政13年(1830)舜乗律師によって復興され、現在にいたります。

遍照寺で特別公開されているのは、赤不動明王坐像と十一面観音菩薩立像(どちらも平安時代中期・重文)、狩野探雪筆の「竹虎図」などの掛軸です。
仏像はどちらも康尚作です。

康尚は寺院に属さずフリーで貴族や寺院の依頼により仏像を作る、最初の仏師となった人です。
それまでの一木造から寄木造へと造像技法を変化させた人でもあります。
ちなみに、藤原行成が建立した世尊寺の仏像も彼の作です。

康尚の仏像の特徴は、平板、ふくよかなお顔です。
遍照寺の観音像も同じくまとった布の質感は平面的で、お顔もシンプルです。
頬がふっくらしていてアクのない穏やかな表情です。
隣の赤不動明王も、お不動さんにしては憤怒の形相がちょっとシンプルです。

どちらもゆっくり拝んでいたい気になる仏さまですが、説明役の京都古文化保存協会の大学生のお兄さんたちと一緒なので、残念ながらゆっくりできませんでした。

遍照寺で朱印をいただき、次の車折神社に向かいます。

Posted by 管理人めぶき