秋篠寺探訪 その1
秋篠寺にお参り
奈良市にある秋篠寺は、伎芸天がいらっしゃることで有名な寺です。
小さな山門の内側には木々が茂って林をなし、西塔跡や金堂跡の林の根元を苔が覆っています。
受付を通って境内に入ると、甍の曲線の美しい本堂がそびえています。
大元堂や慰霊碑の回りには木が生えているのと対照的に、この本堂の周りにはマツやカエデなどの数本の木しかありません。
境内の端の椅子に腰掛けて奈良時代最後期に建てられた本堂(現在のものは鎌倉時代に改修されています)を眺めていると、その後に始まる平安時代や数々の動乱を経た昭和時代に生まれた自分が、それらの歴史の流れを見送ってきた秋篠寺本堂と一体化したような錯覚に陥りました。
このような時空を飛び越えた感覚が心地いいから、社寺巡りをしています。
奈良時代最後のお寺
秋篠寺の創建は、寺伝によると奈良時代末期の宝亀7年(776)、光仁天皇の勅願により善珠(ぜんじゅ)を開基とするといいます。
善珠は法相宗の僧で、皇太子安殿(あて)親王(のちの平城天皇)の病を平癒させた縁により、その示寂後に安殿親王が善珠の図像を描かせ、それが現在の開山堂に安置されているそうです。
平安遷都の時期に、桓武天皇により伽藍が整備されました。
10世紀頃に京都の神護寺末になり、真言宗に属しました。
鎌倉時代の保延元年(1135)に講堂(現在の本堂)を残して焼失しましたが、徐々に復興、江戸時代には中世の頃のような規模に戻りました。
室町時代に興福寺末に転じました。
しかし明治の廃仏毀釈により衰退、奈良の油坂の西方寺末になって浄土宗に属しましたが、昭和24年から単立寺院となっています。
東洋のミューズ
本尊は薬師如来坐像。
現在のものは鎌倉時代後期の作と推測されています。
いかにもその時代の仏像らしく、顔の輪郭が丸くて、頬骨が高く、目鼻立ちがはっきりしています。
まるでモンゴルの力士のようで頼もしいお姿です。
その本堂の須弥壇の左端でスポットライトを浴びているのが、かの有名な伎芸天です。
頭部は奈良時代の脱活乾漆造、身体は鎌倉時代の木造。
つまり、頭と身体の材質も創作時期も違うのですが、まったく違和感がありません。
京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像も軽く微笑んでいますが、この伎芸天の微笑み加減は弥勒さまよりは厳しくみえます(菩薩と天部を比べるのは愚かな行為ではありますが)。
伎芸天は歌舞・音曲を司るのだそうで、芸の精進に対する厳しさも表現しているのでしょうか。