秋篠寺探訪 その2
秘仏・大元帥明王
秋篠寺の、本堂の次に立派な堂宇が大元堂、ここに別尊の大元帥明王立像が安置されています。
大元帥明王(たいげんみょうおう。真言宗では「帥」を読まない)は鬼神の首領である十六薬叉(やくしゃ)大将、または毘沙門天の眷属の八大薬叉の一つとされ、怨敵調伏(おんてきちょうぶく)の尊として信仰されています。
小栗栖の法琳寺の常暁(じょうきょう)が入唐前に秋篠寺で参籠していたところ、閼伽井に大元帥明王の尊影を感得、入唐後にその修法を学んで帰りました。
この大元帥法は鎮護国家の修法で、常暁が承和6年(839)に宮中で修めたのが始まりです。
以来、明治4年(1871)までその伝統が続きました。
修法の際には、秋篠寺から土と閼伽井が献上されてきました。
毎年6月6日は、大元帥明王の結縁ご開帳の日です。
この日には閼伽井のある香水閣の扉も開かれ、井戸の水をいただくことができます。
ほのかに甘みがある水です。
大元帥明王は約2m30cmの大きな木像です。
この日は内陣の内側の、ほんの目の前まで近寄らせてもらえます。
まさしく「怒髪 天を衝く」かのように逆立った髪。
筋骨隆々としていて、六臂のそれぞれの二の腕と手首、首、腰、足首に蛇が巻きついています。
五鈷杵と三鈷杵、三鈷剣まではわかりましたが、棒と斧の名前がわかりませんでした。
左の真ん中の腕は、人差し指を立てているように見えますが、いったい何を表しているのでしょう。
顔は忿怒相。
しかし明王共通の特徴である「童顔」も備えているので、間近に拝むと結構かわいらしく見えます。
鎮守社は御霊をお祀りしている
秋篠寺南門の正面に八所御霊神社があります。
ここは元は秋篠寺の鎮守社で、明治の廃仏毀釈のときに分離しました。
御霊といえば崇道天皇(早良親王)が筆頭格で、ここ八所御霊神社にも祀られています(他の祭神は忘れたので、後日調べます)。
開基の善珠が平癒させた安殿親王の病とは、早良親王の祟りによるものだそうです。
鎮守のために祟り神の力を使っていたのでしょうか。
秋篠寺は、爽やかな音の名前に反して、なかなか深みのある寺です。