小白河といふ所は (感想と解説)
花山天皇の御代のできごと
平安時代、天皇に自分の娘を入内させ、生まれた子どもを天皇につけて自分は外祖父として天皇の後見をして権力をふるい、息子たちを昇進させるのが当たり前でした。
この「小白河といふ所は」という章段は、花山天皇の御代の話で、清少納言が中宮定子に出仕する以前のことです。
花山天皇の生母は冷泉天皇女御の懐子で、彼女の父は一条摂政藤原伊尹です。
したがって伊尹が外祖父として権力をふるうはずですが、花山天皇が即位した永観2(984)年にすでに薨去していました。
外祖父がいない場合、その息子が外戚となって受け持ちます。
伊尹の息子は早世した者が多く(三男は行成の父、義孝です)、五男の義懐が権中納言となって花山天皇の後見をしていました。
また、この時代は乳母に赤ちゃんを育てさせていて、その乳母の子どもは乳母子(めのとご)と呼ばれ、主人の赤ちゃんと実の兄弟以上の絆を持っていました。
花山天皇の乳母子の蔵人権左中弁の藤原惟成が、義懐の補佐をしていました。
2人いるとはいえ脆弱な後見であるうえに、花山天皇は行動に問題のある人でした(長くなるので内容は書きません)。
次の権力の座を虎視眈々と狙っていた伊尹の弟の兼家は、うまく花山天皇を欺き、出家させました。
そして兼家の息子の道綱らが、天皇の象徴である神璽宝剣を懐仁親王(兼家の娘の詮子が産んだ)のもとに運び込み、天皇の出家を見極めてから懐仁親王を一条天皇として即位させました。
花山天皇の出家を知った義懐と惟成は、きっぱりと後を追って出家してしまいました。
清少納言が時めく義懐と言葉を交わしたのが寛和2(986)年6月18日、義懐が法師となったのは6月23日でした。
登場人物紹介
ここで、清少納言が名前を挙げた人物の紹介です。
法華八講を主催した「小一条の大将殿」藤原済時は小一条左大臣師尹の息子で、村上天皇に古今和歌集を試された女御芳子の兄です。
八講を欠席した左大臣は源 雅信です。
藤原道長室倫子の父です。
八講を欠席した右大臣は藤原兼家です。
陰謀で忙しくて来られないでしょうね。
「佐理の宰相」は小野道風・藤原行成とならぶ「三蹟」とたたえられた藤原佐理です。
小野宮流 藤原実頼の孫で、藤原公任の従兄弟にあたります。
「実方の兵衛佐」は藤原実方です。
清少納言の恋人だった時期があったかもしれないと考えられている人です。
済時の兄の息子ですが、父が早世したために済時に育てられました。
「長命侍従」は済時の息子で藤原相任といいます。
この当時は侍従として宮中に上がっていましたが、この年に15歳にして出家しました。
「三位の中将」は藤原道隆、中宮定子の父です。
父の兼家ともども陰謀で忙しかったはずですが、やってきたのは済時が飲み友達だからか、それとも実は陰謀に関わっていなかったのか。
「藤大納言」は藤原為光のことだと考えられています。
伊尹・兼家の異母弟で、斉信の父で、花山天皇の出家の原因となった忯子の父で、義懐室の父でもあります。
清範は清水寺の僧で、ハンサムで声が良かったそうです。
当時の人気僧でした。
藤原道長の権力掌握前夜のこと
と、名前を挙げていくと、右大臣と清範以外は主流から外れつつある人たちだということに気がつきました。
時代を遡りますが、藤原忠平(小一条太政大臣)の息子たちのうち、長男は小野宮流実頼、二男は九条流師輔、五男が小一条流師尹でそれぞれ有職故実を父から受け継いでいます。
大伴氏、菅原道真、安和の変での源 高明など他氏を排斥してきた藤原氏は、次に一族間での権力闘争を始め、九条流が勝って小野宮流と小一条流は排除されました。
その次に九条流の中で争った結果、藤原道長が天皇よりも強い権力を掌握しました。
もしかしたら、公任も行成も道長よりずっと上の地位にいたかもしれません。
もしかしたら、実方は陸奥へ行くこともなかったかもしれません(彼の陸奥守就任は小一条流の排除のためとも考えられています)。
もしかしたら、清少納言の夫の橘 則光も、惟成同様、乳母子としてなにがしかの地位につけたかもしれません(ただし本人に出世欲はなさそうですが)。
清少納言の父、清原元輔は小野宮流との付き合いが深かったそうです。
彼女自身、中宮定子への出仕の前に小野宮流のどこかの家で女房勤めをしていたともいわれています。
「中納言、法師になりたまひにしこそ、あはれなりしか」の一文に、彼らと自分の無念を込めていたのかもしれません。
夏の暑さとあっけなさ
この章段では、小一条の大将殿のお屋敷の下長押と簀の子縁の上を埋め尽くしそうなくらいに微妙に色合いが変化した赤紫や青紫があふれ、赤色がいっせいにヒラヒラしているさまや、池の蓮の葉の緑色が頭の中に広がります。
それらすべては猛暑の炎天下にキラキラと映えていて、牛車で押しかけている人たちの喧噪もまた、暑さを演出しています。
見える物の説明ののち、ナンパとそのあしらい方へ話題が変わります。
ありがたい法華八講とは正反対です。
次に義懐と清少納言の応酬(さすが行成の叔父)。
突然話が変わって、4日とも静かに聞いていた牛車の存在、そして義懐の出家。
最後のほんの数行だけ触れていることで、露が葉に溜まる時間すら用意できないほどの事の展開の速さや、あっけなく転がり落ちる無常観を印象深くしています。