素戔嗚尊を祀る神社 京都
素戔嗚尊(すさのおのみこと)(素戔嗚命とも。『日本書紀』での表記名。『古事記』では須佐之男命)は天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)ときょうだいで(末の弟?)、高天原で悪行の限りを尽くして天照大神に追放されます。
葦原中国(あしはらのなかつくに)の出雲へ降り、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を八岐大虵から守って草薙剣を得ます。
そして出雲の須賀の地に宮を定めて、奇稲田姫命と結婚して暮らしました。
また、素戔嗚尊は中世以降、牛頭天王(ごずてんのう)と習合して疫神としての神格を持ちます。
牛頭天王はインドでは祇園精舎の守護神、チベットの牛頭山の神で、中国に入って陰陽思想などと習合します。
日本に入ってからよりいっそう陰陽道との関わりを深め、蘇民将来伝説と結びついて、素戔嗚尊と同体化しました。
平安時代、都の民衆の間で高まっていた御霊信仰は、疫神の神威によって御霊が鎮められるとされていました。
御霊を鎮める八坂神社の祇園御霊会(祇園祭)や今宮神社の紫野御霊会(やすらい祭)が民衆の人気を得、現在に続きます。
公式サイトに、素戔嗚尊を主祭神としてお祀りしているとの記述をされている神社をまとめました。
境内末社などで素戔嗚尊をお祀りされている神社もあると思いますが、ここでは公式での記載のみに拠ります。
なお、奈良には素戔嗚尊を主祭神としてお祀りしている神社は見つけられませんでした。
- 綾戸國中神社
- 綾戸國中神社は綾戸宮と國中宮が合祀されていて、國中宮の主祭神が素盞鳴神です。
- 社伝では、素戔嗚尊の荒魂(勇猛・積極的な働き)が國中宮、和魂(平和や恵みをもたらす働き)が八坂神社に祀られているとされています。
- 祇園祭の神幸祭と還幸祭では、綾戸國中神社の久世駒形稚児が馬に乗って、素戔嗚尊を奉じた中御座を先導します。
- 粟田神社
- 貞観18年(876)、清和天皇の勅使として八坂神社に参籠した藤原興世の夢に大己貴神が現れ、「祇園の東北に牛頭天王を祀れ」と告げられたので、当地に創建されました。
- 粟田神社の例祭、粟田祭も御霊会で、剣鉾は祇園祭の山鉾の原型といわれます。
- 新熊野神社
- 永暦元年(1160)、後白河法皇が都の人々も熊野詣でができるようにと、熊野三山の神さまを全部勧請して創建されました。
- 上之社に、熊野本宮大社の熊野家津御子(くまのけつみこ)大神(素戔嗚尊)が鎮座しています。
- 今宮神社
- 平安建都以前から、当地に素戔嗚尊をお祀りする疫神社がありました。
- 正暦5年(994)、一条天皇の時に素戔嗚尊は御輿に奉じられて、船岡山に安置されます。
- 長保3年(1001)、再び現在の位置に戻され、疫社に鎮座しました。
- 岡崎神社
- 延暦13年(794)、平安遷都に際して、東の王城鎮護のために創建されました。
- 貞観11年(869)、清和天皇の勅命により、播磨国広峰より牛頭天王(速素盞鳴尊)などを勧請し、疫病や災厄の退散を祈願しました。
- 地主神社
- 主祭神は縁結びの神さまの大国主命ですが、そのご両親として素戔嗚命・奇稲田姫命、さらに奇稲田姫命のご両親の足摩乳命(あしなずちのみこと)・手摩乳命(てなずちのみこと)の5柱が本殿に鎮座しています。
- 八大神社
- 八大神社のある一乗寺の産土神として、素盞嗚命・稲田姫命・八王子命(五王子・三王女)のご一家がお祀りされています。
- 藤森神社
- 藤森神社は、新羅から都へ凱旋してきた神功皇后が、塚を築いて軍中の大旗を立て、兵具を納めて祭祀したのが始まり。
- 現在は本殿中央の中座に、素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の7柱が鎮座しています。
- 八坂神社
- 当地は平安建都以前から、渡来人の八坂造一族が住み、そこにあった観慶寺の天神堂に祀られていた天神・婆利女・八王子が、斉明天皇2年(656)の祇園社創建ののちに素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神と習合したのではないかと考えられています。
- 吉田神社
- 境内の末社の今宮社は吉田町の産土神で、創建はわかっていません。
- 大己貴神・大山祇神(おおやまづみのかみ)と一緒に鎮座しています。