『清少納言 コレクション日本歌人選007』
清少納言の書いた『枕草子』は、随筆・歌枕集・日記・和歌・物語をひとまとめにした、分類に囚われない新しい文学です。
彼女自身は、村上天皇の御代に『後撰和歌集』を編纂した「梨壺の五人」のうちの一人の、清原元輔の娘と期待されることにコンプレックスを持っていました。晴れの場で父のような素晴らしい歌を詠むことはできないし、自分のまずい歌で父の名声を汚してはならない、と。
しかし彼女は人とのやりとりに歌を利用する「贈答歌」は好きだったようです。その様子が『枕草子』にいきいきと描かれています。
他方、彼女の死後、娘の小馬命婦によって編纂されたと思われる家集『清少納言集』も残されています。
橘 則光への心をまだ残していた頃の歌、藤原実方との贈答歌、息子の橘 則長の来訪を待ちわびる母としての歌、藤原棟世とともに摂津国にいる時のものであろうと思われる歌、そして相手は誰かわかりませんが恋の歌など。
それらの歌から、『枕草子』とは違った清少納言が浮かび上がってきます。清原元輔女、橘 則光室、橘 則長母、藤原棟世室としての。
圷 美奈子著『清少納言(コレクション日本歌人選)』はその、「清少納言」という召し名を持つ一人の女性に焦点を当てています。
収録歌全30首のうち、『清少納言集』から21首、『枕草子』から贈答歌が3首。
そして清少納言の人となりの傍証のために、「ゆかりの人々の歌」として、中宮定子の歌を2首、一条天皇の歌を2首、和泉式部との贈答歌を1首、娘の小馬命婦の歌を1首収録しています。
小馬命婦の歌は、藤原範永が「こまが草子」を返却するときに添えた歌への返歌です。
これが、『清少納言集』を編纂・所有していたのは彼女ではないかと推測される根拠となっています。
この歌をもって『清少納言 コレクション日本歌人選007』は締めくくられています。
「こまが草子」を借りた藤原範永は、受領層歌人らと「和歌六人党」を結成し、能因法師(橘 則長室の兄弟)や相模(橘 則長の元嫁)に師事して歌の道に精進した人です。
師匠の縁から、小馬命婦と面識があったのでしょうか。
当時、小馬命婦は上東門院彰子に仕えていました。昔、自分の母を「あんな女、ろくな死に方はしない」と言った人が仕えていたところです。収入面では安定した一流の勤務先ですが、心の内面ではどう思っていたのでしょうか。
『清少納言(コレクション日本歌人選)』を通して、小馬命婦の「お母さんはあなた方が考えているような女性ではない」との声が聞こえたような気がしました。