大神神社にお参り(3)・檜原神社
山の辺の道
狭井神社を出て、山の辺の道を歩きます。
私はまた後悔していました。
さっき山登りをしてへとへとになって下りてきたのに、何故また山道を歩いているのだ、と。
本社から狭井神社までの道程とはうって変わって、林と畑の間を縫うような山道です。
途中、大和盆地が少し開けて見える場所に出ました。正面がきれいな三角錐の耳成山で、隣が畝傍山でしょう。
玄賓庵(げんびあん)と書かれた立て札の前を通ります。
「三輪山奥之院 玄賓菴密寺」との札の掲げられた小さな山門があり、賽銭箱が置かれていました。
玄賓は奈良時代の法相宗の高僧で、道鏡の甥にあたります。
三輪山麓にあった庵が、ここに移転したようです。重要文化財の不動明王坐像が安置されているそうです。
また謡曲「三輪」は玄賓僧都と三輪明神の物語だそうです。
今回は山門から遙拝するだけにして、檜原神社へ急ぎます。
檜原神社
山道から突然、檜原神社の境内に入りました。
玉砂利が敷き詰められた、静謐な神社です。
大神神社本社とも狭井神社とも違う、独特な気が漂っています。
ただただ穏やかです。ここまで来て良かった。
ご祭神は天照大神若御魂神(あまてらすおおみかみのわかみたまのかみ)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の3柱です。
第10代崇神天皇の頃、疫病が流行り国が荒廃していました。
6年に、宮殿にお祀りしていた2柱の神さまのうち、天照大神を豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託して、倭笠縫邑(やまとのかさぬひのむら)に奉祀したのが、この神社の始まりです。
その後、天照大神は第11代垂仁天皇25年のときに、倭姫命(やまとひめのみこと)に託されて各地を巡幸し、伊勢に鎮座しました。
そこから、檜原神社は「元伊勢」と呼ばれます。
檜原神社には本殿も拝殿もありません。三輪鳥居といわれる鳥居があるだけです。
また、境内からの眺望が良く、鳥居の間から二上山が見えます。
春分・秋分の日の頃には、二上山に夕日が沈みます。とてもきれいですよ。
しばらく境内のベンチで休み、山の辺の道を引き返して久延彦神社に向かいます。