ながめのよい花のてら
白毫寺にお参り
奈良市の高円山の麓にある白毫寺に行きました。
市内循環バスの「高畑町」バス停から山へ向かって歩きます。
始めは緩やかな登り坂ですが、白毫寺の手前で一気に勾配がきつくなります。
参道の階段に入ると、よりいっそうきつい勾配が続きます。
しかし山門をくぐり受付の手前で振り返ると、西の生駒山まで広がる奈良盆地が眺望できます。
これこそ山岳寺院参拝の醍醐味です。
白毫寺は、関西2府4県の花の名所となっている寺院で結成された「関西花の寺二十五ヵ所霊場」の第18番札所です。
五色の花を付ける「五色椿」と萩で有名な寺です。
参拝したとき寒桜はほとんど散り、境内北側の藪椿が咲いていました。
南側の椿は蕾の状態、五色椿は数個だけ咲いていました。
来週末からが見頃でしょう。
境内西側は植え込みの丈が低く、展望スペースになっています。
正面は生駒山地。
右側(北)の端、大阪・京都との府県境まで見えます。
左側(南)はけむっていたので見づらかったのですが、生駒山地の南端の信貴山まで見通すことができます。
天気がいいと、その南の二上山まで見えるそうです。
また、左側にはこの高円山の属する奈良東部の山地が見えます。
石上神宮のある布留山も見えていたかもしれません。
白毫寺の由緒
白毫寺の創建は、弘法大師の師である勤操(ごんそう)上人であるとされ、この地は志貴皇子の山荘跡らしいです。
奈良時代に建てられた他の寺と同じく、ここ白毫寺も京都に都が移ってから衰退しました。
鎌倉時代に、西大寺の叡尊(興正菩薩)が再建しました。
現在、本尊をはじめ安置されている仏像のほとんどが鎌倉時代の作です。
室町時代に兵火にかかりましたが仏像は無事運び出され、江戸時代に興福寺の空慶上人が勧進して再建し、現在に至ります。
本尊は阿弥陀如来坐像。
念仏宗のご本尊である阿弥陀さまとは違い、柔和なお顔立ちです。
脇侍の観音・勢至両菩薩坐像は前かがみになり、座って見上げる私と目が合いました。
平安時代からの浄土信仰に基づくのでしょう。
閻魔さんとお地蔵さんが揃って鎮座
宝蔵には、閻魔王坐像が太山王坐像と向かい合って安置されています。
もとは閻魔堂の本尊だったそうです。
衆生は死んだら、阿弥陀に来迎されてもまっすぐ浄土へは行かれずに、まず閻魔王の裁きを受けねばなりません。
眷属の司命・司録が生前の行状をすべて書き付けているので、嘘は付けません。
しかし、閻魔王は実は地蔵菩薩の本地仏(つまり化身)であり、裁きが終われば地蔵の姿に戻って、しかるべき場所へ案内してくれるそうです。
宝蔵の閻魔王坐像の隣に、繊細な後背の美しい地蔵菩薩立像がいらっしゃいます。
一切経が終わったら春がくる
毎年4月8日、お花まつりの日に一切経法要が行われます。
ならまちには「暑さ寒さも彼岸まで、まだあるわいな一切経」という言葉があるそうです。
彼岸を過ぎて暖かい日が続いても、一切経法要の頃までは急に花冷えの日があるから気を抜くな、という意です。
たしかに、奈良の春は行きつ戻りつしながら、やってきます。