平成30年度 春期京都非公開文化財特別公開
京都古文化保存協会から、「平成30年度 春期京都非公開文化財特別公開」について発表されています。
期間は4月27日(金)から5月6日(日)まで。
ただし、法要などで変更があったり、公開内容が未定の社寺がありますので、詳しくは京都古文化保存協会のサイトをご覧ください。
今年2018年は、慶応4(1868)年1月に戊辰戦争へとつながる鳥羽伏見の戦いが勃発してから、150年になります。
鳥羽伏見の戦いにまつわる文化財を公開する社寺
城南宮
城南宮に陣を構えていた薩摩軍の放った大砲から、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
新政府軍が戦場で錦の御旗を掲げたため、旧幕府軍は戦意喪失してしまいました。
錦の御旗を掲げて戦う新政府軍を描いた、「薩摩藩隊旗・錦の御巡行図」などが公開されます。
東寺五重塔
仁和寺宮嘉彰親王を征討大将軍とした新政府軍の本営が置かれ、西郷隆盛が五重塔の上から望遠鏡を使って戦況を見て、指令を出していました。
現在は塔に登ることはできず、初層内陣が公開されます。
養源院(相国寺山内)
初公開です。
鳥羽伏見の戦いでは相国寺塔頭の養源院が、負傷した薩摩藩士のための野戦病院として収容されました。
薩摩藩の大山 巌の要請で、イギリス人外科医ウィリアム・ウィリスが藩医を助手として治療に当たりました。
重傷をおった西郷従道も治療しています。
法傳寺
初公開です。
鳥羽伏見の戦いで激戦地になり、境内に「戊辰東軍(旧幕府軍)戦死之碑」が建ち、東軍戦死者名簿があります。
会津藩士が使用した砲弾、短銃などが公開されます。
妙教寺 初公開
初公開です。
鳥羽伏見の戦いで激戦に巻き込まれ、境内に榎本武揚による「戊辰之役東軍戦死者之碑」が建ちます。
1発の砲弾が本堂の柱を貫通しました。その跡がいまでも残されています。
明治維新にまつわる公開箇所
岩倉具視幽棲旧宅
9年ぶりの公開です。
岩倉具視は朝廷の復権を求めて和宮降嫁による公武合体を画策しますが、尊皇攘夷派から佐幕派と疑われ、孝明天皇に蟄居を命じられました。
ここで坂本龍馬や大久保利通らと倒幕について語りあいました。
鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が戦意喪失するに至った新政府軍の「錦の御旗」は、岩倉具視が大久保利通と品川弥二郎に製作を依頼していた「偽物」といわれます。
大黒寺
薩摩藩主島津家久の命により武運長久の祈願所に定められた、薩摩藩とのゆかりの深いお寺です。
「薩摩寺」とも呼ばれます。
西郷隆盛と大久保利通が会談した一室が公開されます。
境内には西郷隆盛が建立した、有馬新七らの「寺田屋殉難九烈士之墓」があります。
金戒光明寺山門
京都守護職に任じられた会津藩主松平容保は、ここに本陣を構えました。
ここで芹沢鴨と近藤勇に謁見し、「新選組」の名を与えて配下におきました。
王政復古に伴い京都守護職は廃止され、松平容保は鳥羽伏見の戦いの最終日に徳川慶喜の命により、大坂から軍艦で江戸へ移動します。
公開される山門は、松平容保が入洛する2年前の万延元(1860)年に完成しています。
壬生寺
13年ぶりの公開です。
壬生寺の隣にある八木邸に、新選組の屯所がおかれました。
新選組は鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗北し、榎本武揚率いる軍艦で江戸に撤退します。
境内に新選組隊士の墓所(壬生塚)があります。
ほか、特色のある箇所
櫻谷文庫
初公開です。
木島櫻谷(このしま おうこく)は明治10(1877)年、京都の生まれ。
四条円山派の流れをくむ日本画家で明治後半から大正期にかけて活躍し、竹内栖鳳と並んで人気を博しました。
昨年生誕140周年を迎えて、京都画壇の巨匠に再度、スポットライトがあてられています。
木島櫻谷の日本画は、動物画に定評があります。
絵なのに、実際の動物よりも体温やしなやかさが感じさせられます。
公開されるのは、木島櫻谷の邸宅(和館・洋館・画室)と作品、収蔵されている伊藤若冲の作品です。