二月、官の司に (感想)その1
餅餤は昇進祝いの席で饗される唐菓子
平安時代の加階に関する手続きは、毎年8月11日に六位以下の官人から加階すべき人を候補者として選出する「定考(こうじょう)」、毎年2月11日に「定考」で決定した候補者が列立し、大臣らに接見して器量・容儀について選考された「列見(れっけん)」、毎年4月7日に「定考」「列見」によって選出された候補者を適当する官職・階級に割り振って天皇に奏上する「擬階の奏(ぎかいのそう)」の順で行なわれます。
また、2月と8月の上旬の丁(ひのと)の日に、大学寮で孔子やその10人の弟子の肖像を掛けて祭った儀式を「釈奠(しゃくてん)」といいます。
この「釈奠」のときに供える鹿や猪の肉・米・餅などが「聡明(そうめい)」です。
「餅餤(へいだん)」は「定考」、「列見」のときに公卿に供される唐菓子(からかし)のうちのひとつです。
餅の中に鵞鳥・鴨などの卵と野菜を似たものを挟んで四角く切ったもので、とらやさんのサイトに再現された写真が載っています。
少納言殿への献上品
その餅餤が突然、行成から清少納言のもとに届きました。
当然、彼は普通にはプレゼントしません。
清少納言を検非違使庁か蔵人所の別当(長官)、自分をその部下の「みまなのなりゆき」という架空の下級官吏になぞらえて、公文書の書式の文を添えました。
追伸文の内容は奈良の葛城の一言主神の故事によるもの。
さあ、これにどう答えるか。
はじめ、清少納言は作法には作法で応じようとします。
行成は母方の祖父、源 保光に有職故実をみっちりと教わっているので、「有職故実に詳しい殿上人」である彼を持ち上げようとしたのでしょう。
しかし、左大弁の平 惟仲に聞くと正しい作法ではお返しは必要ありませんでした。
清少納言は手詰まりになってしまいました。
行成への逆襲
そこで作戦を変更しました。
あちらが男性の領域で攻めてくるなら、こちらは女性の領域で逆襲してやろうと。
彼女の好きな紅梅の枝(あちらは白梅だったから)に、紅の薄様の文を(おそらく)結び付けました。
これで情熱的な恋文の外観ができあがりました。
この薄様に和歌を書いたら完璧なラブレターですが、清少納言が書いたのはたんなるダジャレでした。
以前「頭の弁の、職にまゐり給ひて(感想)」で触れましたが、行成は和歌を苦手としていました。
どう見ても和歌が書かれているに違いない紅の薄様と紅梅を受け取って、彼は身構えたことでしょう。
しかし開けて見ると、ダジャレ付きの手紙でした。
ダジャレではありますが、和歌の技法である掛詞も軽いダジャレみたいなものですから、手紙の内容は歌の心から離れてはいません。
それがあまりにもおかしくて、うれしくて、清少納言のもとへ飛んで行ったのでしょう。
そして話した内容が、まるで和歌が大嫌いな元夫の橘 則光(「なりやす」が誰なのかわかっていません。後世の書写した人の写し間違いかもしれません)みたいなので笑い合って、この件はこれで終わったはずでした。
しかし、行成は一条天皇や他の公卿が居並んだ折りに清少納言を持ち上げました。
そのダジャレが天皇に絶賛されたと誰かから聞き、彼女は「自慢話のひとつになってしまった」と締めくくっています。