袖布留山の瑞垣の
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石上神宮にお参り
石上神宮に行ってきました。
ここは日本最古の道である「山の辺の道」の出発点にあたります。
厳密にいえば、北の奈良市の円照寺のあたりから石上神宮まで「東海自然歩道」として整備されていますが、ポピュラーなのは石上神宮から南へ大和三山を見ながら進むルートです。
天理市街地ではうららかな陽気でしたが、布留山麓の神域に入るととたんに冷たい風が針葉樹の林から吹き込んできます。
昨夜の雨の湿気がまだ林に残っていて、かすかに息が白くなります。
鶏の声が境内にひびいています。
前に来たときには彼らは境内を我が物顔して走り、飛んでいましたが、今日は1羽も見えません。
鳥インフルエンザの影響でどこかに囲われているのかもしれません。
石上神宮の神さま
石上神宮の主祭神は3柱いらっしゃいます。
神武天皇の東征のときに携えられた、平國之剣(くにむけしつるぎ)の神威である、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。
饒速日命(にぎはやひのみこと)の天津瑞(あまつしるし)であるとされている、天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)の神威である、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、八岐大蛇を倒した天十握剣(あめのとつかのつるぎ)の神威である、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。
この3柱の神さまを合わせて、石上大神(いそのかみのおおかみ)として祀っています。
聖徳太子と蘇我氏に滅ぼされた物部氏は、饒速日命の子孫であるとされています。
その物部氏が大和朝廷で軍事をつかさどっていたことから、この神社は大和朝廷の武器庫的な性質をもっていました。
また、石上神宮の鎮座する布留山(ふるやま)の麓は歌枕として多く和歌に詠まれています。
娘子(をとめ)らが袖布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我れは
(若い女性が、袖を振っている。布留山の石上神宮の神域の垣根がとても永く続いているように、彼女をいとしく思い続けているのだよ、私は。)
柿本人麻呂の万葉集巻4-501の歌の歌碑が参道沿いに建てられています。