横笛の悲恋の地 滝口寺
滝口寺へ
さきほど祇王寺で会った白猫が涼を求めるように、境界の苔むした植え込みの下を這って進んでいました。(泥んこになって、美人が台無し……)
ここも往生院三宝寺の塔中の一つであったところで、明治時代に廃寺になりましたが『平家物語』の史跡として、祇王寺とともに復興されました。
歌学者の佐佐木信綱が、高山樗牛の新聞小説「滝口入道」にちなんで滝口寺と命名したそうです。
滝口入道と横笛の話
斉藤時頼(滝口入道)は、清涼殿の御溝水(みかわみず)に詰めて禁中の警護をする、滝口と呼ばれる武士でした。
彼は建礼門院徳子の雑仕女(雑役、走り使いを勤めた女性)であった横笛に思いを寄せるようになります。
しかし、身分違いであると父に反対され、滝口入道は19歳の年に剃髪して、嵯峨野の往生院に出家しました。
あまりの急な話に驚いた横笛は、真意を聞きたいと都を飛び出します。
夕暮れの中、やっと嵯峨野の往生院の数多くの塔頭の中から念仏の声を聞き分けて、彼の庵にたどり着きました。
しかし滝口入道は、人を介して「人違い」と追い返しました。
横笛は指を切り、その血で石に歌を書き残しました。
山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我をみちびけ
滝口入道は女性の近づけない高野山の清浄心院に移りました。
横笛も奈良の法華寺に出家しましたが、間もなく亡くなってしまいました。
滝口入道は修行を重ね、高野の聖と呼ばれる名僧になったといいます。
極楽では一緒に
横笛の消息に関してはいろいろあるようですが、私は「法華寺出家説」を信じます。
奈良市の法華寺の本堂に、観音さまを拝んでいるかのような横笛の小さな紙子像があります。
彼女が亡くなった後、ここの尼僧たちが憐れんで、彼女が相談のためによこした書簡を使って像を作ったといわれます。
また、彼女が住んで念仏三昧した小さな堂宇が境内に残されています。
滝口寺の本堂に滝口入道と横笛の木像が安置されています。
鎌倉後期の作で、眼は玉眼になっています。
横笛は法華寺の紙子像よりも少し大人っぽい雰囲気で、滝口入道は誠実で実直そうな男性でした。
何となく、安心しました。