雪のいと高う降りたるを (感想)
この章段は、当時貴族の間で大人気だった白居易の七言律詩がもとになっています。
遺愛寺の鐘は枕を攲(そばた)てて聴く
香鑪峰の雪は簾を撥(かか)げて看る
藤原公任が編集した『和漢朗詠集』に収録されていて、貴族なら誰でも知っていた漢籍です。
中宮さまはこの詩になぞらえて、「雪が見たい」と言いました。呼びかけられた清少納言は詩のとおりに簾をかかげました。
他の女房たちは、有名な詩なので簾をかかげるくらいのことは思いつく、と言っています。
しかし彼女たちが感心し、中宮さまが笑ったのは、清少納言の行動力です。
格子は木の戸なので重いでしょうから、下仕えに上げさせました。
簾は自分の力で上げました。中宮さまの位置からも雪が見られるように、自分の頭くらいの高さまで。
宮仕えとはいえ女房たちは貴族のお嬢さまなので、簾を頭の高さまで持ち上げるなんてはしたないことはしなかったでしょう。
簾をほんの少し上げるふりをするだけでしょう。
でも清少納言はやってのけました。
これを見て女房たちは「中宮さまのサロンでは、このくらいの行動力が必要なんですね」と言ったのでした。
このころは、女性でありながら漢字(真名)を書いたり、漢籍の知識を口に出したりするのははしたないとされていました。
しかし、「一の人に一番に思われたい」と言い、新しい趣向で五節の舞姫を演出したりする中宮さまにとって、白居易の詩の世界を実践するのは当たり前だったのでしょう。
清少納言の自慢話のように捉えられがちですが、この章段の主題はサロンの主人としての中宮さまの女房教育です。