佐保路 観音めぐり その2
海龍王寺
不退寺を出て、大きな前方後円墳のウワナベ古墳(被葬者不明)の横を通り、海龍王寺へ行きました。
車通りに面してはいるのですが、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな風情の南門です。
しかも、門からのぞくと、入るのがためらわれそうな土塀の崩れ具合です。
しかし中に入ると境内はきれいに整備され、ユキヤナギの木が枝をいっぱいに広げています。
さぞかし満開の頃は美しいでしょう。
光明皇后が建立
ここは、平城宮皇后宮(法華寺)から見たら東北の隅にあたるので、「隅寺」と呼ばれていました。
藤原不比等の邸宅跡を改めたものです。
養老元年(717)光明皇后が、遣唐使として入唐する僧玄昉(げんぼう)が無事に帰朝することを祈願して建立しました。
玄昉は帰路で嵐に遭い、海龍王経を唱えて無事に種子島に漂着、帰朝したのは天平7年(735)でした。
彼は数多くの経典を持ち帰り、その功により僧正に任ぜられ、この隅寺が海龍王寺と改められました。
鎌倉時代には不退寺、法華寺と同じく西大寺の僧叡尊(えいぞん)が中興して栄えましたが、兵火や地震に遭い、奈良時代の堂宇は西金堂と経蔵のみになってしまいました。
しぐれ の あめ いたく な ふり そ こんだう の はしら の まそほ かべ に ながれむ
南京(奈良のこと)を旅した、會津八一の歌です。
あまり雨が降ったら西金堂がよりいっそう崩れてしまうよ、という悲鳴のような歌です。
龍王のいるお寺
境内に小さな社があります。
ここに「空海龍王」が祀られています。
弘法大師が延暦23年(804)渡唐する際、ここの「隅寺心経」を写経し、航海の無事を祈願しました。
すると龍王が、帰朝するまでの間守ってくれました。
帰朝後、弘法大師は隅寺に龍王を祀り、海龍王とともに留学・旅行の安全が祈願されていると、社の横の説明書きにありました。
どうやらここは龍王さんが鎮座する寺のようです。
今、衆生に手をさしのべていらっしゃる観音さま
本尊は十一面観世音菩薩立像。
鎌倉時代の作で昭和28年(1953)まで秘仏でした。
そのため、彩色が鮮やかに残っています。
光明皇后の彫った観音像が元になっているそうです。
この観音さま、左手に蓮華の入った水瓶を持っています。
右手は体の横に自然にたらしているのではなく、肘を少し曲げ、握手をする時よりもややこちら側に掌を向けています。
まるで、いまにもこちらに右手を差し伸ばしそうな気配なのです。
ありがたい、と自然にそう思いました。