祇園祭 くじ取り式 2022
「山一番」は孟宗山と浄妙山
令和4(2022)年の祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が、7月2日に京都市役所の市議会議場で行なわれました。
今年は、3年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が行なわれます。
令和2年(2020)は、各山鉾保存会の代表者が八坂神社の四条御旅所まで歩いて拝礼。
令和3年(2021)はくじ取り式を行ないましたが、各山鉾保存会の代表者が榊を手に持って歩き、四条御旅所から八坂神社を遙拝する「徒歩巡行」でした。
改修工事を終えた市議会議場にて3年ぶりに行なわれたくじ取り式。
17日の前祭(さきまつり)で、長刀鉾に続く「山一番」は、7年ぶりに孟宗山が引き当てました。
孟宗山は中国の「史話二十四孝」から、呉の孟宗が病気の母のために雪の降る山中で奇跡的に筍を探し当てた話を題材にしています。
孟宗の人形は寛政年間の七条大宮の仏師・康朝の作と伝わります。
真松(「山」は大きな松を立てるのが特徴です)に雪が飾られています。
銅懸の平山郁夫画伯筆のらくだも印象的な山です。
24日の後祭(あとまつり)では、橋弁慶山と北観音山に続く「山一番」は、6年ぶりに浄妙山に決まりました。
浄妙山は源平合戦の宇治川先陣争いにて、一来法師が筒井浄妙の頭を飛び越える一瞬のさまを題材にしています。
一来法師の手と筒井浄妙の頭は、木片の楔一つで支えられています。
前懸と後懸は、智積院にある長谷川等伯・久蔵父子の国宝障壁図を綴織にした豪華なものです。
鷹山が復興します
令和元(2019)年から唐櫃で参加していた鷹山が、文政9(1826)年以来196年ぶりに巡行に加わります。
鷹山は応仁の乱以前から、「くじ取らず」として参加していました。
天明の大火(1788年)に遭うも、寛政年間に大きな曳山に生まれ変わって復興しました。
しかし、文政9(1826)年に大雨に遭って破損、蛤御門の変(1864年)で3体のご神体の人形以外を焼失してしまい、以来休み山になっていました。
平成26(2014)年から居祭として参加、令和元(2019)年から唐櫃と徒歩の囃子方による唐櫃巡行で参加していました。
寛政年間の鷹山は、現在の北観音山・南観音山と同じ大屋根の曳山でした。
今年の巡行からその当時の姿で、本格的に復興します。後祭の10番目に巡行します。
これで、休み山は前祭の布袋山のみになりました。
鷹山とは
鷹山は、中納言在原行平が光孝天皇の鷹狩りに供奉した場面を表わしています。
鷹匠、犬飼、従者の3体の人形が残っていて、このうち従者(樽負)は粽を食べるからくり人形で、蟷螂山のカマキリと並ぶ人気ものだったそうです。
巡行順
巡行の順番は以下の通りです。
前祭 7月17日
- 長刀鉾(なぎなたほこ) (くじ取らず)
- 孟宗山(もうそうやま)
- 保昌山(ほうしょうやま)
- 郭巨山(かっきょやま)
- 函谷鉾(かんこぼこ) (くじ取らず)
- 白楽天山(はくらくてんやま)
- 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
- 油天神山(あぶらてんじんやま)
- 月鉾(つきほこ)
- 蟷螂山(とうろうやま)
- 山伏山(やまぶしやま)
- 霰天神山(あられてんじんやま)
- 鶏鉾(にわとりほこ)
- 木賊山(とくさやま)
- 綾傘鉾(あやかさほこ)
- 占出山(うらでやま)
- 菊水鉾(きくすいほこ)
- 芦刈山(あしかりやま)
- 伯牙山(はくがやま)
- 太子山(たいしやま)
- 放下鉾(ほうかほこ) (くじ取らず)
- 岩戸山(いわとやま) (くじ取らず)
- 船鉾(ふねぼこ) (くじ取らず)
後祭 7月24日
- 橋弁慶山(はしべんけいやま) (くじ取らず)
- 北観音山(きたかんのんやま) (くじ取らず)
- 浄妙山(じょうみょうやま)
- 鯉山(こいやま)
- 鈴鹿山(すずかやま)
- 南観音山(みなみかんのんやま) (くじ取らず)
- 役行者山(えんのぎょうじゃやま)
- 黒主山(くろぬしやま)
- 八幡山(はちまんやま)
- 鷹山(たかやま) (くじ取らず)
- 大船鉾(おおふねほこ) (くじ取らず)