おやすみ阿修羅
今日1月26日は、歌人の永井陽子さんの祥月命日にあたります。
永井さんの歌の中でもっとも有名、かつ人気のあるのは『ふしぎな楽器』所収の
あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
でしょう。
ほかに『樟の木のうた』の
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
もいいですね。終止形に付く助動詞「べし」の活用型の擬音化され具合がみごとです。
私が永井さんの歌でもっとも好きなのは、『てまり唄』所収の
鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅
です。この歌を読んで、奈良の興福寺の境内が頭の中に鮮明に浮かびました。
現在は中金堂再建事業が進行中のため、境内では鹿は寝づらそうですが。
そして、もうひとつの感想を持ちました。
この歌の視点はお釈迦さまだ、と。
阿修羅と迦楼羅は、どちらも天竜八部衆に属しますが、もともと阿修羅はインドラ神(帝釈天)に戦いを挑む悪の鬼神、迦楼羅は伝説上の巨鳥でヴィシュヌ神の乗り物となっていました。
阿修羅は悪神であった頃、いつもお釈迦さまの辻説法の邪魔をしていました。
たびたびお釈迦さまを見つけては妨害していたのですが、そのうち説法が耳に入ってくるようになりました。
それを聞いているうちに阿修羅はお釈迦さまに帰依し、鬼神の顔は穏やかな少年のようになりました。
そして彼は説法の邪魔をする者を排除するようになりました。
その少年阿修羅像の傑作が、興福寺の国宝館に所蔵されています。
そのような経歴を持つ阿修羅なのですから、たんに「おやすみ」と言われても寝るわけがありません。
なのに、寝かしつけることができる人(方)、それはお釈迦さまご自身のみです。
阿修羅も迦楼羅も鹿も眠っている光景を、説得力を持って短歌に表現し得る永井さんはすごい。
これが彼女のファンになったきっかけです。
さて、永井さんは『ふしぎな楽器』の中のエッセイで、阿修羅像に髭があることにショックを受けたと書いていました。
大仏師の西村公朝師は、著書の中で仏像の髭について「口元の笑い皺だと思って見ればいい」と書かれています。
おそらく、永井さんはもうとっくに阿修羅に会って髭の有無を確認していることでしょう。